2019年6月15日土曜日 午後5時〜6時半 町田市内(勝楽寺正面近く・原町田3丁目)
問合せは、welcome@holistic-ed.org へご連絡ください。
◆講師 須賀健太氏から
内容紹介:ミヒャエル・エンデといえば、多くの人は『モモ』や『はてしない物語』を思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、エンデ作品にはこれらの代表作の他にも、短編・戯曲・詩・創作メルヒェンなどがあります。
今回は、そのようなエンデのマイナー作品のうちの一つで、いわゆる「大人向け」の短編集『自由の牢獄』の中から3つの短編を取り上げてみたいと思います。ここでは簡単に今回取り上げる作品についてご紹介します。
一つは「ボロメオ・コルミの通廊」。ボルヘスへのオマージュとの副題を持つこの作品は、ボルヘス風の偽史的想像力の世界のなかに、ルネサンス的なパラドックス愛好を詰め込んだマニエリスティックな作品。エンデの好む遠近法の戯れ、とはつまり光学的な虚実の戯れが、ボルヘス風の虚実綯い交ぜとなる作品構成と共鳴して、ゼノン的な無限に関するパラドックスを生み出す。そしてまた、このパラドックシカルな論理の迷宮こそが、エンデのいう因果論的思考を脱臼する装置なのである。
二つ目の「郊外の家」は、「ボロメオ・コルミの通廊」の著者に送られた書簡のスタイルをとり、同じくパラドクシカルな内と外の不一致を取り扱う作品。この自己言及的/メタフィクション的なスタイルは、ボルヘス風の戯れというよりむしろ、エンデの棹さすドイツ・ロマン派的な戯れであり、類似のテーマの「エンデ的」な表現にも受け取れる。
そして、三番目に取り扱う「ミスライムのカタコンベ」は、オーウェルの『1984』を彷彿とさせるディストピア小説。実はSF愛好者であるエンデが、オーウェルをはじめとしたSFのディストピア小説を意識しなかったということがあるだろうか…?この超監視/管理社会ディストピアはそれ自体が一つの迷宮である。作品を彩るのはその名前にカバラ的・旧約聖書的由来を持つ登場人物たちであり、このSF的ディストピアと密儀の知の重ね合わせから透かして見たとき、エンデの詩的錬金術によってこの迷宮はまた人間の意識の表象にも見えるのである。
以上3作品をエンデの好んだ迷宮というマニエリスム的モチーフを共通項として選んでみました。長編小説とはまた違ったエンデ作品の魅力について、お話できればと思っています。
プロフィール
◇講師 須賀健太
・1983年生まれ。青山学院大学文学部教育学科卒業。
在野のミヒャエル・エンデ研究者。主な関心領域はドイツ・ロマ ン派、マニエリスム、ヴァインレープ、シュタイナーとの関連を中心としたエンデの思想的・文学的背景の研究。
・Twitterのエンデボットを記述している人だと言われている。