シュタイナーの説く社会の三分節化とは?

■中世の時代

中世の時代は、宗教がトップに立って、その下に政治にしろ経済にしろ文化にしろ、宗教が全部決めていたんです。そういう意味では、完全に統制が取れていた。経済がちゃんと精神によってコントロールされていたわけです。宗教は精神です。政治も宗教という精神によりコントロールされていた。

■経済の自立

ところが、まず経済が自立してくるんです。どんどんグローバル化していき、国境を越えていくわけです。現実の経済は国家の枠を超えて自立してくる。にも関わらず、国家は国家単位で経済をコントロールしようとしている。それで齟齬が起きてくる。

■宗教国家から政治国家へ

国家も宗教国家から、政治国家に変わります。精神の支配からを政治が自立するわけです。それが民主主義の基本なわけで、一人ひとりの人間に権利があって、それが社会が発展していくための基礎になり、国家が自立していく。近代国家が出来るってことは、宗教的なシステムから国家が自立することなのです。

■今の国家の思想レベル

今の国家とか思想のレベルだと、共産主義は、平等にしすぎて自由が拘束されて監視社会になってしまった。自由主義は、自由もあるけど、不平等な部分は酷くなるっていう現実がある。こうした時にどっちが良いかっていうと、こっちを取るとあっちの問題が起きるので、結局バランス取るしかないなみたいな感じになると、しょうがないって話ですね。最初から上手くいかないんです。思想が行き詰まっているんです。第三の道っていうのが、その延長線からは出てこないんです。

■経済には、自立の自覚がなく、国家がコントロールしようとしている

経済も政治も宗教から自立したのです。にも関わらず、自立してるっていう自覚がないんです。国家は経済をコントロール出来ると思っている。

では、教育、学問、宗教、芸術などの精神文化の領域はどうなったのでしょうか。現在の日本の状況やアメリカの状況を見ればわかるように、政治(国家)が居育、学問、宗教をコントロールしようとしています。

■社会が顕現化するために必要なこと

精神の自由が侵されているわけです。そのために、フランス革命の唱えた、「自由・平等・友愛」の精神は、いまだに実現していないのです。

社会が健全化するためには、精神領域の自立化、経済領域の自立化、政治領域の自立化をという現実にあわせて、精神領域、経済領域、政治領域を別々の原理つまり精神領域においては自由の価値を実現し、経済領域においては友愛の価値を実現し、政治領域においては、平等の価値を実現することが、不可欠なのです。

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