一粒の砂ブログ:思い出しにくさと思い出しやすさ

2021年3月26日(金)一粒の砂ブログ原稿

ルドルフ・シュタイナー著 高橋巌訳 『人智学・心智学・霊智学』(筑摩学芸文庫)の

 「心智学第二講 人間の魂の諸力の対立」より

シュタイナー系では、感情を働かせると記憶が残りやすくなると言われています。

今回は、この内容を少し詳しく見てみようという、書き込みです。

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魂には、外からの力と内側からの力の両方が働くために、今の時代の要求のように外からやってくるものと、いつの時代にも通用する内側からやってくるものがあり、魂は、後者の力により成長していくことができると述べられています。

今の時代は、外からの刺激が多すぎるので、意識的に毎日自分の内面に意識を向ける時間を確保することが不可欠なのです。

それだけでなく、自分の内側に作り上げられた新しいイメージは、無意識の場所に刻印され、その影響は、人間全体の病や健康にも及ぶと考えられています。

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以下は、上にまとめた内容を、それそれの方がいいイメージとして記憶できる助けとして、シュタイナーの言葉を要約したものです。

一旦、常識的な知識を括弧にいれて、感情的、イメージ的に、お読みいただけたら嬉しく思います。

外からの情報を内側に伝える感覚器官は、忠実に外の情報を伝えるので、内側の魂にとっては、従わなければならない拘束として感じられることになります。それに対し、外からの情報が内側のイメージに転写されると、イメージ自身が生き物のように自立して振る舞うようになるというのです。

人により、なんでもよく覚えていてすぐに思い出せる人と、なかなか思い出せない人がいますし、思い出により、すぐに思い出せるものと、すぐには思い出せないものがあったりします。すぐに思い出せなかったり、どうしても思い出せなかったりする記憶像もありますが、この場合は、この記憶イメージが思い出されたくないと思っているからだというのです。

にわかには信じがたい話だと思う方が多いと思われますが、「退屈」という感情が生まれるのは何故なのか、どういう場合なのか、という問いに対する、心智学の説明を知ると、正しいのではないかという気がしてくるのです。

人間以外の動物は、「退屈」を感じることはないのだそうです。

何故かというと、動物の場合は、魂の内部で争いが起こることはないからだということです。人間の場合は、愛と憎しみが錯綜したりします。

人間には数え切れないほどの記憶イメージがあります。この記憶イメージには、実はいわば命があり、それぞれの記憶イメージが自立しているので、争いが生じるというのです。これが退屈という感情が産まれる原因であるというのです。

では、記憶イメージ相互で争いが起こるとなぜ退屈になるのでしょうか?すぐに思い出せる記憶は、その記憶イメージが思い出してほしいと思う(イメージ化してみてください)からなのですが、思い出してもらえると、記憶イメージがいわばバージョンアップするので、新しい気づきが追加されることになるのですね。逆に、思い出して欲しくない記憶イメージは、忘れられて構わないと思っているので、バージョンアップはしないほうがいいと感じているわけです。退屈というのは、新しい刺激がほしいのに、バージョンアップしたい記憶イメージが少なかったり、思い出したいという気持ちが少ない記憶イメージが多いと、新しい刺激を求める欲求がどんどん強化され、それが満たされない不満が高まることになります。この状態が退屈と感じられるのです。退屈とは、欲求不満の人間的な感情表現なのです。

これを避けるには、新しいものへの関心を常に持ち続けるように意識することが重要で、それこそが、内側に住んでいる魂が、真善美への次元へと成長できる条件なのです。

人智学では12あるとされる人間の感覚器官は、全て関心や興味を基礎に持っているということですので、12の感覚の関心・興味を正しく生かせるように意識することが大切だということになります。

外からの刺激に振り回されずに、内側の魂の状態に心眼を向けることが、今の時代、不可欠だということであり、これこそが、第三の目覚めにつながるポイントなのです。

文責:Seaさんこと今井重孝

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